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「同心学舎(濟々黌)の記念碑を”発見”・・」・・デジカメ・松岡の昼散策

2021年10月8日(金)

 デジカメ・松岡泰輔は10月7日、熊本市下通や銀座通りなどを散策、JTB熊本支店前で、同心学舎(のち濟々黌)の記念碑を見つけた。佐々友房らつくった学校の源流がこんな場所にあった。
 濟々黌出身(関係者)の方々は、よくご存じのことと思うが、濟々黌(同心学舎)は元々、熊本市の都心にあったことになる。濟々黌は熊本県内でもっとも古い、明治12年に創立された学校(高等学校)。創立の中心人物は佐々友房。佐々は明治10年の西南戦争で熊本隊(薩軍)の池辺吉十郎らとともに転戦。田原坂近くの吉次峠で重傷を負い、同年10月、懲役10年の刑を言い渡され宮崎の監獄に収監されたという。
 記念碑は、熊本市下通1丁目の銀座プラザビル前(道路を挟んでJTB熊本支店前)。「同心学舎跡」と彫ってある。「同心学舎」の建学の精神は「皇室中心、国家主義」。明治15年に「三綱領」を教育方針とする「済々黌」として再スタート。佐々は自ら第二代黌長に就任し、政界・言論界にも進出した。熊本の「保守本流」を形成したともいわれている。
 記念碑の横面には「濟々黌発祥の地」と「明治12年12月 熊本区高田原相撲に佐々友房先生他有志 現在の濟々黌の淵源 同心学舎を創立」と彫ってある。佐々らが同心学舎を創立したのは、西南戦争からわずか2年後だったことになる。
 ちなみに、熊本高校(第二濟々黌)、鹿本高校、八代高校、天草高校は濟々黌の分校。尚絅校は濟々黌付属女子学校だった。

「同心學舎跡」の記念碑(熊本市下通1丁目)
熊本市内でも交通量の多い銀座通り。左手前が記念碑
熊本市下通1丁目の銀座プラザビル
熊本市下通商店街と銀座通りの交差点付近
下通りと銀座通りの交差点にある「文化堂レコード店」(右)
「同心學舎」のすぐ西側にある「下通筋」バス停留所