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「白川上流に架かる子飼橋・」・中心部と大江地区を結ぶ重要拠点

2025年10月16日(木)

 子飼橋(こかいばし)・・。熊本市中央区の一級河川白川に架かる橋梁。都市計画道路である子飼・新大江線の一部で、中央区東子飼町 - 同区大江1丁目の間に位置する。橋の名は北側一帯の地名「子飼」からとっている。 
 子飼一帯には、江戸時代に渡し舟があったが、明治時代に木造の有料橋が架けられた。明治33年(1900年)の大水害で、橋が流された後は、舟橋などが架けられていたという。 
 その後、大正時代にコンクリート橋が架けられた。橋は当時の河川敷の中央付近のみに架けられ、橋の前後は河川敷上に盛土をして造った道路で接続した。 やがて橋の両端を基準に新しい堤防が築かれ、1796年の大水害時に築かれた旧堤防の一部は「一夜塘」跡として残された。新堤防の建設に伴い出現した堤内地は大蔵省(当時)によって払い下げられ、新しい市街地が形成されていった。
 しかし、結果的に橋周辺の河道は狭まり、昭和28年(1953年)に発生した西日本大水害時に、橋に流木が詰まったことをきっかけに市街地に大量の水や土砂が溢れ出す原因となった。特に、橋の南側の大江地区の被害は甚大で、多数の民家が流出、浸水し、多数の死者も出たという。 
 子飼橋は昭和32年(1957年)に、コンクリート一部トラス橋として完成。昭和33年 (1958年)には、熊本県を行幸された昭和天皇、香淳皇后の視察先の一つとなった。子飼橋は、当初2車線の車道橋だったが、後に歩道が併設された。高度成長期を経て熊本市屈指の交通量の多い橋となった。
 年々、橋の通行量が増加。平成15年(2003年)には1日の通行量が2万台となったことから熊本市が架け替えを計画。平成17年(2005年)に事業着手して、平成25年(2013年)から部分供用となり、平成27年(2015年)に完成した。延長134メートル、幅員は28メートル。自動車4車線のほか自転車通行レーン、歩道が設けられた。
 子飼橋一帯は北側に子飼商店街・薬園町。そして北東に熊本大学のキャンパスがあり、南側には熊本学園大学、県立熊本高校などがある文教地区。学生や若い人たちの通行が多い地域。橋を歩いていて、「なんとなくウキウキするような感じがする」と思った。

熊本市中央区の一級河川・白川に架かる子飼橋(134メートル)
子飼橋は中心部と大江地区を結ぶ交通の重要拠点
左岸の大江方面には高層マンションが林立している
国土交通省熊本河川国道事務所白川出張所の建物
道路幅を拡張している熊本市薬園町・子飼付近
熊本市の台所とも言われる「子飼商店街」
白川右岸に位置する熊本大学のビル群
子飼橋のひとつ下流に架かっている「明午橋」