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銃火器テーマに「西南戦争歴史講座」開講〜玉東町と熊本市

2019年10月1日(火)

  玉東町教育委員会と熊本市文化振興課は共催で、西南戦争の主要兵器だった銃火器をテーマに、その歴史や戦術、火薬製造など戦史研究の視点から解説する2019年度「西南戦争歴史講座」を9月から来年1月まで5回開く。参加無料。
  第1回は9月28日(土)、三重県四日市教育委員会の山本達也氏を講師に迎え、「西南戦争の火砲弾薬」をテーマに玉東町中央公民館で午後1時半から3時まで開いた。西南戦争では西郷隆盛率いる薩軍と政府軍が各地で大砲や小銃で激しい銃砲撃戦を繰り広げたが、山本氏が火砲(大砲)の弾薬について解説した。西南戦争では、四斤山砲、四斤野砲、臼砲が主力火砲として使用されたが、砲弾には「榴弾」「榴散弾」「散弾」の3種があり、山本氏は持参した実物の砲弾を示しながら、砲弾のタイプの違いによる戦闘での使用法や砲弾や砲身の構造、材質、信管の仕組みなどを詳しく解説した。講話後の質疑応答では受講者から「弾を前から入れる先込め砲と、後から入れる元込め砲は、発砲時間はどのくらい違うのか?」「信管を付けたままの砲弾を筒先から込める四斤山砲は、誤爆の可能性はないのか?」。また、「(ドイツの兵器製造会社の)クルップの砲弾に麻ひもが巻いてあるのは、柔らかい鉛が傷ついて(砲弾と砲身の)密着度が下がるのが理由ではないのか」など、なかなかマニアックな質問も出ていた。
  同講座は、旧植木町と玉東町の教育委員会が、西南戦争遺跡の国史跡指定を目指して2009(平成21)年度にスタートして今年10年目。2013年3月には、植木町2カ所、玉東町7カ所の西南戦争遺跡が国の指定史跡となり、現在は熊本市文化振興課植木分室と連携して、史跡の保存・活用のため歴史講座をはじめ史跡巡りウォーキングなどの取り組みを進めている。
  歴史講座の今年度の予定は以下の通り。第2回「西南戦争歴史遺跡めぐりウォークin益城町」。城東会戦で薩軍本営が置かれた木山周辺の戦跡と、近代日本の女性教育や婦人解放運動に尽くした四賢婦人の記念館などを巡る。10月26日(土)。要申し込み。第3回「西南戦争歴史遺跡めぐりウォークin玉東町」。国指定史跡西南戦争遺跡散策。木の葉猿窯元見学、「ふれあいの丘交流館」。11月24日(日)。第4回「西南戦争における火力戦」。玉東町や旧植木町の西南戦争遺跡からは今でも多くの銃弾が出土するが、戦いの主体だった銃砲戦について戦史研究の視点から解説する。12月14日(土)午後1時半〜3時、熊本市植木文化センター。講師は日本大学国際関係学部の淺川道夫氏。第5回「薩摩藩の火薬製造」。幕末、薩摩藩が建設し西南戦争で焼き払われた霧島市の「敷根火薬製造所」を発掘調査の成果をもとに紹介する。1月18日(土)午後1時半〜3時、熊本市植木文化センター。講師は鹿児島県立埋蔵文化財センターの今村結記氏。3月7日には「西南戦争歴史検定」も実施する。(香月)

講座終了後、講師が持参した砲弾を撮影する受講者
第1回講座には中高年を中心に136人が参加した。中には福岡や北九州、はるばる東京から参加した人もいた
開講に当たり挨拶する玉東町の上村公之教育長
展示された西南戦争期の砲弾。右から榴弾(六斤山砲)、散弾、榴散弾、臼砲の円形の砲弾、陶器製の砲弾。右端の小さな筒状のものは1859年式「デマレー着発信管」
講師の山本さんは砲弾の構造図を表示して詳細に解説した
会場の玉東町中央公民館