${HeadTitle}|くまもと経済
くま経プレス
もどる ホーム
 トップ インタビュー
くま経プレス 2006年11月 vol.202
「大学病院の医療水準」と「助産院の暖かさ」を提供
(医)社団 愛育会 福田病院 院長
河上 祥一さん
 婦人科医療を通じて女性の地位向上に貢献するという理念のもと、1907(明治40)年に開院し、来年100周年を迎える福田病院。時代の変化に対応しながらも、「大学病院の医療水準」と「助産院の暖かさ」を提供すべく、先進的な取り組みを続ける同院の河上祥一院長に、今後の方向性やプロフィールなとについて話を聞いた。

◆かわかみ しょういち/昭和42年2月9日生まれの39歳。熊本市出身、熊本高校−琉球大学医学部卒。熊本大学医学部付属病院、九州厚生年金病院、水俣市立総合医療センター、飯塚病院などを経て、平成12年医療法人社団愛育会福田病院、16年10月同院産科診療部長兼院長補佐、18年1月から現職 
―院長就任からこれまでを振り返って。
河上 今年の1月に院長に就任し、9カ月が経ちました。産婦人科が減少していることもあり、患者さんの数は増えているのですが、どうしても多くの患者さんに接しようと思うと、お一人の患者さんに接する時間が短くなってしまいます。その点では患者さんに申し訳ないと思っています。当院では女性の疾患に関しては悪性腫瘍以外、すべて扱っています。院長として一部分だけ理解していればいいというわけにはいきませんので、専門性はなくてもほかの先生がたから教えていただきながら勉強している毎日です。
―福田病院としての取り組みは。
河上 熊本の産婦人科、特に周産期における一番の課題が新生児集中治療室(NICU)の確保の問題です。現在、当院の新生児センターに9床、熊本市民病院に15床、熊本大学に3床ありますが、同じ人口比率の他県に比べると10床ぐらい足りません。県全体における周産期治療の一環のお手伝いができればと考えています。また、婦人科では腹腔鏡による手術をはじめ先端治療も行っています。乳がん検診の施設認定も受けていますし、専門医もいます。漢方に関しては全国から患者さんがいらっしゃっています。そういった意味では女性のライフステージすべての健康を守り、その生活を支援しサポートしていくウーマンホスピタルを目指しています。
―今後の方向性は。
河上 当院では月に220〜250件のお産がありますので、まずは事故を起こさないということです。医師、看護師、助産師含め約200人のスタッフすべてが、同じモチベーションと方向性を保ちながら、「大学病院の医療水準」と「助産院の暖かさ」を提供していくことを目指しています。また、中期目標としては、産婦人科医を当院で育てていく。以前は大学の医局に入局しなければ専門医にはなれなかったのですが、昨年から当院も専門医を育成する機関になりました。福田病院に行けば、産婦人科医に早くなれる、いろいろな症例を学ぶことができるという環境を構築しながら、産婦人科医の素晴らしさと魅力を伝えていきたいと考えています。研修医の先生には「おめでとう。また、おいでね」と言えるのは産婦人科医だけですよ、ってよく話しています。
―ところで、ご家族は。
河上 妻と息子が1人、娘が1人です。それに黒のラブラドール・レトリーバーとミニチュア・ダックスフンドがいます。妻は看護師で、当院で働いています。私は琉球大学の医学部なのですが、妻は沖縄の宮古島出身で、沖縄本島の看護学校に通っていました。知り合った時、私が22歳、妻が18歳でした。1年間の遠距離恋愛期間もありましたが、妻が看護学校を卒業して、すぐに結婚しました。私が25歳、妻が21歳でした。
―奥様はずっと仕事を。
河上 子供が小さい時は専業主婦の時代もありました。今は妻が月曜から金曜まで働いていますが、私は平日が休みのことが多いので、銀行や郵便局などは私が行ったりしています(笑)。
―院内にお住まいだそうですね。
河上 ええ。365日24時間当直はいますが、院長ということ、緊急手術などに備えてということです。院内に住むことで、当直や診療の合間でも家に寄ることができますので、以前に比べると子供に接する時間は増えたと思います。
―休日の過ごし方は。
河上 小学2年からボーイスカウトを続けているのですが、そのキャンプの手伝いに行ったり、犬の散歩ですね。子供2人もボーイスカウトに入っているので、共通の話題が持てていいですよ。
―ありがとうございました。
Copyright (C) 2006 kumamoto keizai. All rights reserved.