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くま経プレス 2009年5月 vol.232
WBC連覇を支えた“マーキングの匠”
潟}ークス 社長
田中 寛
 今年3月に開催された野球の国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)」で連覇を果たした日本代表チーム「侍ジャパン」。ドラマチックな展開での優勝に日本列島が興奮と感動に包まれたことは記憶に新しい。そのユニフォームの胸に描かれた「JAPAN」のマークを手掛けた企業が県内にあることをご存知だろうか。北京五輪の野球や女子ソフトボールのほか、多くのプロ野球球団のユニフォームのマーキングを手掛け、第1回大会に続きWBCのユニフォームを担当した潟}ークスの田中博社長にインタビューした。

たなか ひろし/熊本市黒髪出身。1948(昭和23)年6月5日生まれの60歳。済々黌高校卒。68年に創業、80年に挙c中マークとして法人設立、90年に潟}ークスに組織変更、2005年に熊本市徳王町から貢町に本社を移転。今年8月には中国・上海の工場が操業予定。
―WBCではどのような気持ちで試合をご覧になられていましたか?
田中 加工する側の目線で、マーキングの高さや色合い、ゆがみはないかなど、ちょっと違った角度から試合を見ていました。製作に携わった者としてプレッシャーの方が多い観戦になりました。ユニフォームにかかわったみなさんも同じ気持ちで見ていたんじゃないかなと思います。その中で勝ち続けてくれ、良い場面で最高の終わり方をしたのは非常にありがたかったですね。優勝が決まった瞬間は正直言って「責任を果たせた」というほっとした気持ちでした。北京五輪では女子ソフトボールは優勝しましたが、男子野球は残念ながらメダルに届きませんでしたから、そういう意味でもプレッシャーがありました。その緊張感というのは本当に自分がバッターボックスに立っているような気持ちでした。 
―WBCのユニフォーム製作時のエピソードはありますか?
田中 前回のWBCが終わった時に大手スポーツメーカーのミズノさんから「刺しゅう縁取りは重たいので、軽いユニフォームにしてもらえないか」と要望がありました。そこで北京五輪の女子ソフトボール代表でも採用して評判の良かった、素材を染めてマーキングを仕上げるサブリメーションという技法を採用しました。グラウンドで行う競技なので、JAPANのロゴや番号など遠くから見るということも踏まえたデザインを心がけました。また、東京ラウンドではほとんどの選手がメッシュ生地のユニフォームを使用していましたが、決勝ラウンドのある米国でのナイターは寒いだろうということで急遽、東京ラウンド開催中にニット地のものを作ることになりました。メッシュとニットでは生地の長さが違うため、昇華デザインを全選手分やり直してアメリカへの出発に何とか間に合わせました。
―マーキングを専門とする会社を興した経緯とは?
田中 高校を卒業して県内の問屋に営業として入社したんですが、3カ月目にお客さんからデザインがどうしてもほしいと言われました。たまたまデザインを少し勉強していたので「製図もきれいに書くからできるんじゃないか」と社長のすすめで独立しました。20歳と金銭的に恵まれていない歳でしたが、加工に必要な道具は全部退職金としてあげるよと言ってくれました。それが現在の会社の原形です。
―会社の転機になった出来事はありますか?
田中 以前は野球帽子に直接刺しゅうをすることが機械ではできなかったのですが、15年程前に日本で初めて当社がそれを可能にしました。それまでは熊本だけのビジネスでやっていましたが、ミズノさんやアシックスさん、デサントさんなどスポーツメーカーとの取引が始まりました。その時は「世の中にこんなに帽子があるのか」と思うくらい毎日帽子の注文がきました。これが大きな転機でした。「困ったことを片付けていく」というのが当社のスタイルなんです。例えば、お客様から「こういうスタイルで」という希望が文字で送られてきて、それを当社が形にした時にお客様のイメージと若干違っていたということがありました。そこで事前にスタイルをイメージとしてお見せできるデザインソフトを開発しました。また、ある一部の部署だけが遅くまで仕事をしている場合、「なぜ遅くなるのか。システムで片付けられないだろうか」と考えます。常に困ったことを拾い上げてそれを一つひとつ片付けていく、というのが当社の経営スタイルですね。
―田中社長も現場で仕事をされるんですか?
田中 ええ。とりあえずは全ての業務に入れますので、スタッフが遅くまで仕事をしている時には私が入ったりもします。自分自身が業務に入らないと困った部分が見えてきませんからね。まあ、職人から抜け出ていないんでしょうね(笑い)。会社を興し、気が付いた時には社員がいて、子どもが生まれて、自分の子どもの時は考えなかったんですが、社員に子どもが生まれたときに責任感というものは非常に重たく感じました。みんなと一緒にここまで来られたのは幸せだと思います。
―ありがとうございました。
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