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 →熊本城ものがたり (第3回)
くま経プレス 2007年3月 vol.206


家紋を用途によって使い分けた清正

 加藤家の紋は清正の甲冑(かっちゅう)に用いられている「蛇の目(じゃのめ)」が有名ですが、「桔梗(ききょう)」紋も用いていたことはあまり知られていないようです。
 天正16年(1588年)、清正は肥後北半国19万5000石の領主に任じられました。それまでは5500石余りの侍大将だったので大抜擢です。 清正が肥後に赴くにあたり、秀吉は前年に改易した讃岐(さぬき)の尾藤知定(びとう ともさだ)の武具・調度一切を清正に与えました。侍大将から領主への大出世ですが、それに相応しい兵力も道具も当然不足します。秀吉が親心から配慮したものでしょう。
 その尾藤家の紋が「桔梗」。清正は桔梗紋の入った武具・調度をそのまま使い、自分の家紋にしたのです。また、清正は旧尾藤家の家臣300名余りを、自分の家臣として召し抱えていましたので、彼等も誇りを傷つけられることなく存分に働いたといわれています。
 また、清正はあとひとつ「折墨(おれずみ)」と呼ばれる家紋も使っていました。戦には「蛇の目」、慶事には「桔梗」、文化的な事には「折墨」というふうに、用途により3種類を使い分けていたそうです。
 熊本城の頬当御門(ほほあてごもん)の横にそびえる宇土櫓(うとやぐら)の軒に使われている丸瓦の紋は、細川時代の九曜紋(くようもん)、加藤時代の桔梗紋、火難除けの巴紋(ともえもん)の3種類の瓦が混在しています。                    (熊本市資料から)

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