${HeadTitle}|くまもと経済
くま経プレス
もどる ホーム
 暮らしの情報
 →熊本城ものがたり 第4回
くま経プレス 2007年4月 vol.207


写真は「昭君の間の再現展」のときのもの。
最高格式の部屋「昭君の間」


 熊本城本丸御殿は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間で、ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもありました。
 大広間にはたくさんの部屋がありましたが、中でも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。この部屋には中国の漢の時代の話しで、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。
 「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説もあります。熊本城を造った加藤清正は豊臣秀吉子飼武将。その遺児である秀頼に万が一の時は、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があり、そのための部屋が「昭君の間」というのです。
 また、「昭君の間」には抜け穴伝説もあります。熊本城築城に携わった大工の棟梁善蔵(ぜんぞう)が語った「大工善蔵より聞覚控」という古文書が残されています。「昭君の間のうしろに機密の間があつたこつも覚えとる。壁がめぐる仕掛けで、かべが一ちょうきりつとめぐつと、ゆかの高さ六尺ばかりのところから、細かはしごで下におりつて、女の髪の毛でねりあはせたつなにすがりつて下におり、それからつまるところはふじよう御門からあずき坂にでるやうになつておつた」すべて熊本弁で書かれているのですが、つまり「昭君の間」の後ろの壁が回り、床下の通路にはしごと縄で下りれば、そのまま門をくぐって城外へ出れるようになっていた」そうです。
 その他にも鴬張りの廊下の話しなども残っており、格式の高さとともに謎の多い建物でもありました。(熊本市資料から)
 
Copyright (C) 2006 kumamoto keizai. All rights reserved.