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くま経プレス 2007年8月 vol.211
熊本の幼年時代を原風景に、オリジナル脚本最新作
映画監督
行定勲
 映画『世界の中心で、愛をさけぶ』、『北の零年』、『春の雪』などのヒット作で知られる熊本市出身の映画監督行定勲さん。自身のオリジナル脚本となる最新作「遠くの空に消えた」の8月18日全国公開を前に、今回の映画の見所やプライベートについてインタビューした。

ゆきさだ いさお/1968年(昭和43)年生まれ、38歳。熊本市新生出身。岩井俊二監督、林海象監督などの助監督を経て、97年『OPEN HOUSE』で長編映画を初監督。01年『GO』では数々の映画賞を受賞。沢尻エリカ、竹内結子主演の『クローズド・ノート』の公開も待機中。
―今回の映画「遠くの空に消えた」のストーリーを教えてください。
行定 脚本は7年前に書き上げていました。舞台は空港建設に揺れる田舎の小さな町で、反対運動を起こす大人たちや、小学校のマドンナ先生の恋愛など、大人たちの世界を垣間見ながら過ごす子どもたちの日常を描いたものです。そんな町に東京から転校してきた男の子が、ひと夏の間に、一生忘れられない出会いや体験を通して成長していくというストーリーです。

―この映画で描きたかったことは。
行定 私を含め、現在の映画界は原作があるものを映画化する形が定番化しています。あらかじめ物語を知っている観客が、映画館に答え合わせに来るのが悲しいことに思えました。情報化社会が進み、何が起こるか分からない、わくわく感がなくなった今だからこそ、映画が映画であることを伝えたいと思いました。
―作品になるまでの7年間の空白は。
行定 主人公役の少年が見つからなかった期間です。そこで13歳に成長し、声変わりをした神木隆之介に出会い、子どもと大人の中間にある微妙な年代のデリケートな瞬間を記録したいと思いました。 
また前作に出演し、ハリウッドでステップアップした大後寿々花、俳優笹野高史さんの息子ささの友間という、同い年の3人に出会ったことも偶然のタイミングでした。「奇跡」という言葉が作品のテーマですが、映画を作り上げること自体、出会った人、天候、形など、すべて奇跡の積み重ね、つまり軌跡なのです。今回の映画では、歩んだ軌跡が新たな奇跡「きっかけ」を生むことを実感することが多かったですね。
―脚本を書いていて熊本をイメージされたことはありますか。
行定 この映画の原風景は、熊本で子どもの頃に見た人や思い出です。友達といたずらをして、よく隣のおじさんに怒られました。そういう大人がいた懐かしさ、夢を与えてくれる大人がいた時代を映画にすることで、今度は私が若い世代に伝えたいと思いました。
―監督が映画の世界を志したきっかけは。
行定 小学生の頃、父に熊本城を舞台にした黒澤監督の撮影現場に連れて行ってもらいました。撮影は夜で、赤々と照らすライトや、大掛かりなセット、大人数の人がうごめいている現場の雰囲気に圧倒されました。スクリーンで見たとき、よく知る熊本城の風景とは違い戦国時代そのものでした。映画を造り込む力と、可能性に魅了され、その時初めて映画に携わりたいと思いました。
―映画の仕事を始めた頃の思い出は。
行定 とにかく夢中でしたね。最初に携わった映画は、右も左も分からず監督やカメラマンに怒られっ放しでしたが、その映画を、後に妻となる彼女と見に行き、最後のローリングテロップで自分の名前が流れたとき、彼女は泣いて喜んでくれました。でも、何もできなかった自分は恥ずかしく、悔しかったことが今でも忘れられません。その時、映画に名前が連ねられことの意味を痛感し、ますます映画にのめり込んでいきました。
―ご家族は。
行定 同い年の妻と、中1の娘、小4の息子がいます。子どもたちはよく映画を見てくれますが、息子が今回の映画に一番高い評価をしくれました。「まるでジブリアニメみたい」という、予想していなかった言葉に驚いた反面、大変嬉しかったです。息子は今まで経験したことのない新しい世界を、映画を通して体験したのでしょう。
―お休みの日は何をされていますか。
行定 家族サービスはあまりできていませんが、息子と将棋をして遊んだりしています。また、最近パチンコに行き始めました。パチンコに来ている人を観察して、映画の材料にしています。
―将来の夢は。
行定 今、阿蘇に家を建てているんですよ。休みの時は自然の中で過ごし、熊本の人とのコミュニケーションの場にできればと思っています。その家が出来上がるのが楽しみです。
―ありがとうございました。
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