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くま経プレス 2007年11月 vol.214
「温故知新の道場たれ」を標榜骨子に
 10月1日、リニューアル開館
(財)島田美術館 館長
島田 真祐さん 
 熊本市の西回りバイパス建設工事に伴い、余儀なく休館した(財)島田美術館(熊本市島崎4丁目)。2年4カ月と長期休館に及んだが今年10月1日、リニューアル開館した。休館前には年間約1万2000人もの来館者があり、熊本市の文化・観光スポットの一つに挙げられていた。館内外の様相は変化したものの、「先人の遺した古物、資料を糧に温故知新の道場たれ」との標榜を骨子にするという同美術館の島田真祐館長に、新装美術館の概要と今後の展開などについてインタビューした。


◆しまだ しんすけ/熊本市島崎出身。1940(昭和15)年3月15日生まれの67歳。早稲田大学大学院日本文学研究科修了。77年(同52)年財団法人島田美術館を設立、宮本武蔵関係資料の収蔵では広く知られる同館の館長として現在に至る。著書に熊日文学賞を受けた「身は修羅の野に」(葦書房)、「二天の影」(講談社)、今年出版された「幻炎」(弦書房)などがある。
―10月1日に美術館を再開されましたが、今のお気持ちはいかがですか。
島田 熊本市の都市計画道路・野口清水線(通称西回りバイパス)建設に起因して、2年4カ月間という長期間休館しての再開となりました。休館中は正直、再開後の不安も頭をよぎりましたが「やっと開きましたね」などの来館者の言葉を頂いたことは嬉しく思っています。
―美術館の施設は以前と比べてどのように変わりましたか。
島田 以前は昭和57年に建設した美術館本館、ギャラリーとカフェ(旧名ててっぽう)を併設した別棟、土蔵がありました。別棟は道際にありましたから完全に撤去し、ギャラリーは本館に付設し、カフェ(新名木のけむり)は本館に引き寄せた場所に新設しました。ギャラリーは展示の多様化に対応できるように、AからDまで大小4つのコーナーに分けました。土蔵も内装を変えて展示ができるようになりました。さらに正門の右側には研究棟を設けています。ここはガラスワークを中心に諸工芸の製作過程も見ることのできる製作公開展示場でもあります。11月1日にオープン予定です。
―庭のイメージも変わりましたね。
島田 はい。そうなんです。庭の中心部は幸いに残りました。しかし、門の周辺にあった樹齢2、300年をこえる槇、檜、泰山木などの古木群は可能な限り移植しましたが、一部は失われました。小さな美術館の景観、雰囲気を特徴づけてきたので残念です。
―折しも今年は美術館創設30周年になられますね。
島田 館内外の様子も少なからず変わりましたが、私の祖父真富(まとみ)から学んだ「先人の遺した古物、資料を糧に温故知新の道場たれ」という館設立以来の標榜の骨子は変わりません。今年は熊本城築城400年の年でもあり、今、開催している再開記念展を「近世肥後の文武ー加藤清正、細川忠興・ガラシャ、宮本武蔵から松本喜三郎まで」としたゆえんでもあります。
―美術館の収蔵品のほとんどは、祖父の真富さんが集められたと聞いていますが。
島田 祖父は明治19年、熊本市で生まれましたが、92歳で亡くなるまで古美術、古道具などの収集と武人文化の研究・顕彰に没頭しました。特に宮本武蔵に心酔してその顕彰に走り、熊本城跡保存に熱を上げ、武家の制度や服飾などの故実の研究に打ち込みました。祖父が亡くなった後、戦死した父に代わり、「私蔵は死蔵も同じ」という祖父の遺志を継いで、財団法人を設立し美術館を開館、一般に公開してきました。来館者は当初の年間3百数十人から再開館する前の数年はようやく約1万2000人になりました。
―今後はどのように美術館を運営及び展開されていかれますか。
島田 再開を機に標榜の骨子をさらに生かし、古典と現代をつなぐ、より風通しのよい回路を探る館活動を心がけたいと思っています。ギャラリーの多様化などハード面は現段階で、できうる限りの工夫を施しました。今後はソフト面の充実が課題。古典の文物に接する「素養」につながる文化教育講座なども随時開催できるようにしていきたいと考えています。
―ありがとうございました。
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