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くま経プレス 2008年1月 vol.216
地元に愛され、地元に貢献できる県民球団を!

熊本ゴールデンラークス GM兼監督
田中 敏弘さん
 県民球団を理想に掲げ、2005年に誕生した社会人野球チーム「熊本ゴールデンラークス」(ラークス=ヒバリの意味)。今年は都市対抗野球本大会で前年の優勝チームを破るなど、目覚しい実績を残した。同社を運営する食品スーパー・椛Nど市場(熊本市尾ノ上2丁目、田中弘文社長)で専務を務め、「野球人たる前に企業人であれ」と話す田中敏弘GM兼監督にチームの理念、今後の目標などについて話を聞いた。



たなか としひろ/1970年1月5日生まれの37歳。熊本市出身。九州学院高校−明治大学卒業後、92年日本通運に入社。2001年1月椛Nど市場に入社、02年取締役本部長、05年常務、07年10月専務に昇格。日本通運社員時代は社会人野球チームの同社硬式野球部に所属し、97年に3塁手でベストナインに選ばれる
―今年は都市対抗、社会人選手権と2大全国大会に出場されましたが、これまでを振り返っていかがですか。
田中 まずは球団の存在意義を浸透させることで1年目をスタートし、3年間は基礎づくりと考えていました。2年目の今年、全国大会に出場できましたが、今でも勝因がわからないんですよ。あえて言うなら、球団創設の理念に沿ったチームづくりが結果につながったのではないでしょうか。
―監督がお考えになった理念とは?
田中 2001年1月に今の会社に入社し、その後経営面にも携わるようになり、その中で人事を中心に会社の将来を考えるようになりました。その時に本当のきずなで結ばれた人間関係を社内で構築したいと考え、その延長線上に浮かんだのが野球だったわけです。ですから、ただ勝つためだけの選手を集めるのではなく、会社やチームの理念に共感し、かつ会社が求め、必要としている人材なのかということを念頭に選手を集めました。
―監督さい配で考えていることは?
田中 通常の社会人野球の監督であれば、極端な話、勝つことだけを考えていればいいのかもしれません。しかし、勝つことだけを求める野球は生活のすべてが野球になってしまう。野球人である前に企業人として、選手の将来を見据え、選手の個性を尊重し、成長させていく、といった様々な思いが交錯したさい配となっています。
―県民球団を理想に掲げていらっしゃいますが。
田中 理想を現実にするために、野球の実績だけでなく、地域への貢献活動にも力を入れています。将来は行政や学校などと相互関係を深め、たくさんの企業と連携し、県民の誰もが応援できる球団にしたいと考えています。その考えもあり、球団名には企業名を入れていないんですよ。認知度を高めるという点では、今年ある程度の成果が出ましたから、県民の皆さんの関心も高まったのではと思います。
―選手のスケジュールと仕事内容は?
田中 朝7時から勤務に入り、シーズン中は正午まで仕事をし、その後寮に戻り食事をとり、午後2時から7時ぐらいまで練習です。現在はシーズンオフで終日勤務をしています。勤務する店舗も仕事内容も選手によって異なっています。仕事内容は配属店に任せていますので、鮮魚や青果、レジ打ちなど一般の社員と同じ扱いでお願いしています。本音を言うと、けがなども怖いですから、ピッチャーに鮮魚などは担当して欲しくないのですが(笑)。
―チームの目標は?
田中 地元に愛される球団、地元に貢献できる球団という意味でも常に全国大会の舞台に出場できるチームづくりを意識しています。多くの県民と感動を共有するために勝ち続けることがチームの目標です。
―10月に専務に昇格されました。監督業との両立も大変では?
田中 今は監督を務めながら、専務として経営に必要なことを学び、会社経営の現状を把握し課題を探る、といった状況です。ここ数年は新店舗の積極的な展開も控えてきましたが、今後は新規出店、あるいはフランチャイズ事業の強化を進めていきたいと考えています。この1、2年は野球中心で生活してきましたが、今後は社長のもとで旗振り役として会社の経営面に比重を置くことになっていくでしょうね。
―ところで、ご家族は?
田中 妻と子供が小学校6年生と3年生、幼稚園、3歳の4人で、一番下が男の子です。妻は大分県の出身ですが、学生時代に東京で知り合い、25歳の時に結婚しました。
―休日の過ごし方は?
田中 できるかぎり家族と過ごすようにしています。
―ありがとうございました。
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