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くま経プレス 2008年2月 vol.217
J1を目指せる強いチームを県民とともに作りたい
ロアッソ熊本 監督
池谷 友良さん
「熊本にJリーグチームを作ろう」の旗印のもと、2005(平成17)年に県内初のプロサッカーチームとして発足した「ロッソ熊本」。九州リーグ、JFLを突破し、3年でJ2入りを果たした。チーム名を「ロアッソ熊本」と改め、新たな戦いに挑む。チーム発足時から指揮を執る池谷友良監督に今後の展望やサポーターへのメッセージなどを聞いた。

いけや ともよし/静岡県浜松市出身。1962(昭和37)年6月17日生まれの45歳。静岡県立浜名高校―中央大学―日立製作所で選手(MF)として活躍。92(平成4)年に現役引退した後、U−15日本代表コーチや、柏レイソルの監督などを務めた。05年ロッソ熊本(現ロアッソ熊本)監督就任。
―チーム発足から指揮をとっておられますが、これまでを振り返っての感想は。
池谷 3年前に来た時、まず「熊本にJリーグチームを作ろう」という大きな旗がありました。当時は、私が「これがプロ」と思える最低レベルのはるか下にあり、用具は誰が運んでくるのか、けが人が出たらどうするのか、などの話をひとつひとつ2カ月ほどかけて詰めていきました。本当に何もない中でスタートし、3年でJリーグ昇格のための最低限度の条件をクリアできたこと考えれば、スタッフの努力もすごかったと思います。
―これまでの戦いの中でポイントを挙げるとしたら?
池谷 JFL(日本フットボールリーグ)に昇格するための全国地域リーグ決勝大会を1年目で突破したことが大きかったと思っています。これまで多くのチームが涙を飲んできた関門で、プレッシャーもありました。今思えば、最初から完全にプロでやったということが短期間で上がっていくためにはすごく良かったですね。資金が限られている中でここまでやれたというのは、良いモデルケースになったと思います。
―J2に昇格して3月から新たな戦いが始まります。対戦相手のレベルも上がってくると思うのですが。
池谷 JFLから昇格したチームはここ2〜3年、どこも下位から抜け出せていないというのが、J2の現実です。だからこそ今後どこを目指してどうするかというビジョンが大事になってきます。1年目は来期に対して、もっと言えば5年後にJ1を狙うための財産を少しずつ蓄えていくためのシーズンになります。また、昨年JFLで戦ったチームがJリーグでどのくらい通用するのか、という見方もできると思います。通用しなかったとしても、それがわかれば対策も考えられます。ただ、全部が通用しないとは思っていません。とにかく色んなものが今シーズンで見えてくる。そこからがスタートだと思っています。
―今後J1を目指すために必要なものとは。
池谷 このクラブが立ち上がった背景には「熊本に活力を」や「子どもたちに夢を」というものがありました。そういう意味では、サッカーを知らない人たちが、興味を持って応援に来てくれ、話題にもなって、ということが大事になってくると思います。最近ではよく「頑張ってるな、応援してるぞ」と声をかけてくれるようになり、嬉しいですね。県民全体が盛り上がって、スタジアムがサポーターでいっぱいになる、それが最終目標ですよ。そうなった時にこのチームは強くなっているだろうし、J1が見えてくると思います。
―ご家族やプライベートについて。
池谷 妻と中3になる長女、小6の長男、小3の次男がいます。当初は単身で熊本に住んでいましたが、約1年半前から家族も呼んで一緒に暮らしています。いろいろと子どもたちにも迷惑をかけましたが、やっぱり家族一緒に居のがベストですし、いろんな勇気をもらっています。一番のサポーターです。
―休日は
池谷 午前中にゴルフの打ちっぱなしに行って、昼から風呂に行ってサウナにいるというパターンが一番多いですね。ゴルフはコースにはあまり出られませんが、ストレス発散のひとつですね。ゴルフを予約した前日のゲームはなぜかすごい勝率でしたね(笑い)。
―ありがとうございました。
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