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 輝きびと Interview:44
くま経プレス 2014年4月 vol.291
水俣の海と人が持つ“力強さ”伝えたい
水中写真家
尾崎 たまき
 水俣に生きる、海中の生きものたちや、そこに暮らす人々の姿を撮り続けている尾アたまきさん。今年2月には長年かけて取り組んできた水俣の写真集「水俣物語」を出版した。「これからも水俣の方々、そして生きものたちと真摯に向き合い撮影を続けていきたい」と話す尾アさんに、この写真集を通して伝えたい思いや現在の活動、今後の目標などを聞いた。

おざき・たまき/熊本市出身。1970(昭和45)年12月5日生まれの43歳。九州女学院(現ルーテル学院)高校―尚絅大学短期大学部幼児教育学科卒。19歳の時にダイビングを始め、海の持つ力強さや生きものたちの健気な生きざまに感動。水中写真を撮りたい一心で、勤めていた保育士を辞め、91年に熊本市の広告スタジオに入社。広告写真を撮影しながら、独学で水中写真に取り組む。2000(平成12)年に上京し、水中写真家・中村征夫氏の弟子として11年間研鑽を積む。2011(平成23)年にフリーとして独立。現在は、ライフワークである水俣湾や三陸、そして動物愛護センターなど、水中のみならずさまざまなテーマに取り組んでいる。また水俣、岩手、東京などで写真展を開くほか、昨年8月に写真絵本「みなまた、よみがえる」を出版、今年2月に写真集「水俣物語」を出版した。
―水俣をテーマに写真を撮り始めたきっかけは。
尾ア 最初に水俣の海に潜ったのは95年の秋で、当時は水俣湾に汚染された魚の拡大を防ぐための“仕切り網”という網が設置されていて、その是非をめぐっては地元でも頻繁に報道されていました。その報道を見聞きするたびに海の中はどうなっているのか?と強く感じるようになり、実際に潜ることを決意しました。実際に潜ってみると、そこには想像もしていなかった命あふれる“魚たちの世界”が広がっていて、夢中でシャッターを切ったのを憶えています。その時に「この海を一生撮り続ける」と直感的に感じました。それからは毎週のように水俣の海に出かけていましたね。
―この写真集を通して伝えたい思いとは。
尾ア これまで水中から海の生きものたちや、その海に生かされている漁師の人々の暮らしを撮り続けてきた写真を通して、“水俣のいま”を感じていただけたらと思っています。水俣は山と海がコンパクトにまとまっていて豊かな自然と水と食べ物も豊富な地域です。その豊かな土地が水俣病を経験しながらもようやく恵まれた土地を取り戻しつつありますが、水俣病のことは報道されても実際の人々の暮らしを目にする機会は少ないのが現状です。海の生きものたちの力強さや水俣の美しい景色、山、川、そして、いろんな苦しみや悲しみを乗り越えてきた人々の今の暮らしを感じていただけたらと思っています。
―現在の活動などは。
尾ア 水中写真をメーンに依頼があればさまざまな写真に取り組んでいます。水俣には毎年3カ月に1回のペースで通っていて、現在は動物愛護センターにも足を運んでいます。生きものたちの世界に向き合いながら“生き方”みたいなものを撮り続けていきたいと思っています。
―今後の夢や目標は。
尾ア これからも生きものたちや人々の世界に真摯に向き合いながら、撮影を続けていきたいと思っています。また震災以降、三陸の漁師の方々の写真も撮っていますが、水俣と似ているところも多いと感じています。今年6月に東京で写真展を開きますが、そこでは水俣の人たちの元気にがんばる姿を通して、復興に向けてがんばる人たちへのエールにつながればと思っています。
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