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田原坂資料館で西南戦争“戦闘遺跡”の発掘成果を公開…植木町

2010年3月30日(火)

  童謡なら、「ザックザック♪」と出てくるのは「大判小判」だが、「山頭遺跡」から出たのは西南戦争の鉄砲の玉(弾)。下の発掘現場の写真(上段左側)でサイコロのように見える土柱は、すべて小銃弾や薬莢(やっきょう)などの出土地点だ。植木町は3月20日、発掘調査を進めている「山頭(やまがしら)遺跡」の発掘成果を田原坂資料館で公開した。
  山頭遺跡は、熊本市北部の国道3号渋滞対策として、国土交通省熊本河川国道事務所が進める植木バイパス工事に伴う事前発掘調査で見つかった。「戦争の遺跡は残ることが少なく、山頭遺跡のように大量の小銃弾が出土したケースは全国的にも珍しい」と、発掘を担当する植木町教育委員会の中原幹彦文化財班長は話す。同遺跡の塹壕跡では官軍が使用したと見られる当時最新式のスナイドル銃の薬莢が多数出土。その東側ではエンフィールド銃など薩軍が使用したと見られる旧式の前装式銃の雷管などが多数出土した。「両地点の距離は60mから100m。官軍と薩軍が至近距離で撃ち合った遺跡」と中原班長。官薩両軍が直接銃火を交えたと考えられる遺跡が、発掘調査で確認されたのは全国でも初めてだそうである。官軍兵士の上着の金ボタンやピストルの薬莢も出土しており、今はのどかな田園地帯で130年前に繰り広げられた壮絶な戦闘が生々しく蘇る珍しい遺跡だ。
  植木、玉東地区は西南戦争でも最大の激戦地。両町は共同で「西南戦争遺跡群連携保存活用協議会」を立ち上げ、両町内に残る遺跡の発掘調査を進め遺跡の国指定を目指している。さらに、遺跡群の保存と同時に観光面での活用を目指す「西南戦争フィールドミュージアム構想」を描いて(例えばレンタサイクルで遺跡を巡るなど色々な活用法が考えられる)、地域の活性化につなげたい考えだ。
  その植木町は3月23日、熊本市と合併した。九州新幹線全線開業を1年後に控えた熊本市は、熊本城を最大の集客装置と位置づけ、開業と同時にオープンさせる桜の馬場の観光交流施設をテコに、200万人程度は見込める熊本城の入場客を中心市街地や市内の観光スポットへ回遊させて市活性化へつなげたい考えだ。熊本市は植木町合併を機に、熊本城効果の波及可能エリアを広げ、旧植木・玉東両町が進める「西南戦争フィールドミュージアム構想」とのリンクも検討して欲しい。熊本城の物語性は西南戦争を加えることで格段に厚みを増すと思うのだが。(編集部・香月)

「山頭遺跡」(熊本市植木町大字滴水)での西南戦争当時の銃弾の出土状況
展示用に「山頭遺跡」発掘現場から切り取られた銃弾の出土状況(3月20日、田原坂資料館で)
3月20日、植木町教育委員会が田原坂資料館で開いた「山頭遺跡」の発掘成果発表会で展示された銃弾
「山頭遺跡」から出土した官軍兵士の軍服のものと思われる金ボタン。現在の学生服のボタンとよく似ている
西南戦争当時の小銃の模型を手に、「山頭遺跡」での出土状況を来館者に説明する植木町教育委員会文化財班長の中原幹彦主任学芸員(役職は当時)