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地域と事業家の夢乗せ疾走…菊池軌道と御船鉄道

2008年9月30日(火)

 IT時代の今日にあっては、居ながらにして売りも買いもでき、情報も取れるが、その昔は人が動くこと、モノを動かすことから経済が始まった。そんな時代に鉄道の果たした役割は、今とは比べものにならなかったに違いない。
 熊本電気鉄道の前身、「菊池軌道株式会社」が設立されたのは明治42年8月。城北の中心地隈府(菊池市)と熊本市を軽便鉄道で結ぶ計画が始動したのは前年の2月、隈府町で開かれた「菊池郡収繭一万石突破祝賀会」の二次会の席だったという。時の郡長坂本到が、養蚕を初めとする郡内産業の振興には鉄道建設が必要であると提唱、満場の拍手が湧き起こり鉄道計画が動き出した。菊池軌道から遅れること4年、大正元年11月には現在の熊本バスの前身となる「御船鉄道株式会社」が設立され、熊本市と益城方面を結ぶ鉄道計画がスタートした。
  明治の中期から大正初期にかけて、陸上交通の花形として各地で盛んに新線が計画された。国力増強を急ぐ国が、幹線を直営とする一方、補助金や規制緩和で民間資本を誘導し地方路線の拡充を図ったことも背景にあった。(熊本都市圏の私鉄〜「業界今昔物語」NO7)を「くまもと経済」10月号に掲載/香月)

熊本電気鉄道の前身「菊池軌道」の軽便鉄道機関車と客車。客車の後方に見えるのは藤崎八幡宮の鳥居(大正8年)
緑川にかかる「日和瀬鉄橋」を渡る御船鉄道(熊本バスの前身)の列車
「菊池電車」の名前で親しまれた熊本電気鉄道の電車
現在の熊本電気鉄道。写真は必由館高校前を走る車両。御代志―藤崎宮前と北熊本―上熊本間で運行している