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22日に支援物資発送・・・東日本大震災熊本支援チーム

2011年3月18日(金)

3月16日に発足した民間の支援団体「東日本大震災熊本支援チーム」 http://www.kumamoto-team.net/ は18日に下通の武蔵ビル3階で集会を開き、 20日13時から宇土市役所で支援物資の仕分け作業を行うことを決めた。

約40人が参加した集会では近代経営研究所の栗谷利夫代表が
「3歳の時に大水害に遭遇し、母の機転で間一髪で助かった。この大震災も
人事ではありません。呼びかけに応えてこんなに多くの方が集まってくれました。
一緒に頑張っていきましょう」と挨拶。
続いて被災地の一つ、福島県郡山市での調査から戻ってきた合同会社ちかけんの
池田親生さんが現地の状況を報告した。
「地震が起きた次の日の夜、ちかけんの三城賢士代表と二人で現地に向かいました。
行き先は特に決めず、原発の様子も見ながら行けるところまで行こうと決め、
翌日宇都宮市に入りました。すでに宇都宮市ではガソリン不足が起こっており、
給油待ちに一時間、渋滞が起きていました。青年協議会の上村剛代表理事と連絡を取りながら
原発を避けて郡山市に向かい、協議会からの紹介で公園に設置されていた災害対策本部で
被災地で必要とされている物資を聞いてきました。現地入りする前はボランティアは軽々しく行動すべきではないと
言われていましたが、対策本部には快く受け入れていただき、本部の馬場さんから
第一に米、次に水、そして毛布、加熱しなくても食べられる物が必要だと教えてもらいました。
郡山市は部分的に停電し、断水しているため水を求める列が長く伸びていました。
建物の損壊や道路の亀裂はありましたが、津波の被害はなく、住民にはまだ笑顔がありました。
帰り道ではコンビニに食べ物もなく、ガソリンがないためパトカーも給油待ちの行列に並んでいました。
東京に着いたタイミングで原発の三号炉が爆発し、屋内待機が始まったので急いで戻ってきました。
道路が寸断されているという情報もありますが、行けるところもありました。
現地では社会活動家のてんつくマンさんと相談しながら行動していました。
指定外の避難場所には行政からの援助物資が行き届かず孤立しています。
彼が運営するめ組ジャパンに集まる避難場所の情報を対策本部に流し、場所の把握を進めています」

続いて宇土福祉協議会の上村剛理事が
支援体制と物資について説明した。
「現地に物資を送るための集積地を静岡県焼津市か
新潟市に作り、まずは10トントラックで運んで小分けして必要な場所に持って行く計画を立てています。
物資はよく集まっていますが、古着でもいいと思われたこともあり、状態のよくない服も混ざっています。
現地は物資不足で優先的に必要なものも買えない状況で、刻々と変わる事態に対応しなければいけません。
昨日から物流も復活し、支援のためのトラックも集まっているようです」。

東日本大震災熊本支援チームでは第一陣の出発を22日に予定しており、
集まった物資から優先度の高いものを仕分ける作業を20日13時から
宇土市役所横の社会福祉協議会で行うという。
参加者からは
「現地から避難してきた人が各地でホテルが満室になっているので自宅に受け入れることにしました」
「被災地の外国人コミュニティーから各国の救助隊がコミュニケーション不全で困っているとの情報も。
現地には数カ国語に対応できる通訳が必要なようです」
「現地で復興作業を進めるために雨具も必要になりそう」
「着られない古着でも現地では様々な役に立つ」
との意見や情報が寄せられた。(佐竹)
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(左から)支援物資の仕分けを説明する上村剛青年協議会代表理事、栗谷利夫近経ファーム代表、司会の野口修一宇土市議、池田親生さん
熱心に話を聞く参加者たち
「現地入りした各国の救助隊が言語の壁で困っている」との情報提供も