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ダブルスコア差で馬場氏が圧勝・・・天草市長選

2021年2月26日(金)

 現職の急逝に伴い実施された天草市長選挙が投開票され、新人で会社経営の馬場昭治氏が新人で元市議の池田裕之氏をダブルスコア差で下し、初当選を果たした。投票率は14年の78・32%を12・78ポイント下回る65・54%で過去最低を更新した。
 午後11時、同市丸尾町の後援会事務所に当確の第一報が入ると支援者は拍手で馬場氏の当選を祝い、祝福ムードに包まれた。支援者から激励を受けた後、当選報告に立った馬場氏は「中村市政の継承と残された事業に全力で取り組み、全国に誇れる暮らしやすい天草を実現するために、みなさん一緒になってまちづくりをやっていきたい」と語った。
 取材に応じた馬場氏との一問一答は次の通り。

●中村市政の継承、継続事業に全力(馬場氏)

 ―当選の瞬間の気持ちは。
 「喜びとともに責任の重さを痛感した。まずはコロナから命を守ることが最優先という気持ちだ。市民の皆さんに、たくさんの負託をいただいた。天草をもっともっと光り輝く島にしていきたい。稼ぐ力をつくり、子ども達が残れる、若者が帰ってこれる場所にして、高齢者を支えていく優しいまちにしたい。市長選への立候補を決めてから40日程度なので、勉強しながら、中村市政の継承、継続事業を全力でやっていく」
 ―天草市の課題は。
 「課題は少子高齢化、人口減少だ。既存の事業所の維持や企業の育成、事業承継のお手伝いも必要だろう。働ける場所を多くつくることが人口減少を食い止めることにつながる」
 ―天草市の魅力は。
 「天草は暮らしやすく豊富な資源があるまちで、経済、農業、観光など人を呼び込めるポテンシャルを秘めているまち。この良さを発信していくことも私の務めだ」
 ―コロナ禍の選挙戦での戦い方については。
 「非常に難しかった。人を集めて話をすることができなかった。演説だけでは伝わらなかったところもあるので、これから市政の中で私の政策を理解していただき、市民の皆さんと一緒になって取り組んでいきたい」

●郡部の声届かず、政治家引退
●「本渡から出れば誰でも勝てる流れに…」(池田氏)

 一方、河浦町の事務所で開票結果を見守っていた池田陣営には、深い絶望感が漂っていた。中には「こぎゃんこつ、おかしかばい!」と強い怒りを示す支援者もいた。
 午後11時ごろ、報告会が開かれ、平石水穂後援会長(元天草町長)は「天草はこれからどうなってしまうのだろうか。我々は本渡から遠いところに住んでいる。新市長になれば行政の手がここまで伸びてくるのか、むしろますます離れてしまうのではないかと心配している」と残念がった。続いて選挙長の脇島義純市議は「恵まれない郡部のまちに池田氏なら光を当ててくれると一生懸命応援したつもりだったが、非常に残念な結果に終わった」と述べた。
 最後にマイクを持った池田氏は、支援者に感謝を示した後、市長選出馬に至るまでの経緯を改めて振り返った。「私は中村前市長と同じ会派だった。チームの仲間が途中で降板したのなら、同じチームの我々がやり残したことをちゃんと整理しようと私が手を挙げた。そこまでは良かった。私が最も残念なのは、本渡から市長を出さなければならないという意識を持つ人たちの動きだ」と、馬場氏の出馬への流れに違和感を示した。
 また、池田氏は、「本渡から市長を出したいと思っている人たちはAさん、Bさん、Cさん、そして前の市長さん(=安田公寛氏)にまで声をかけ、最終的に馬場さんが出馬することになった。私は、政治家というのは自ら手を挙げて出てくるべきという考えだ。今回の選挙は、『本渡から出れば勝てる。ならば誰が出てもいいじゃないか』と有権者に思わせるような選挙だった。少なくとも(馬場氏が)『俺が出るぞ』と言って出てきたわけではない」と一刀両断。ただ、「そういった本渡中心の流れをつくってしまった責任は私にもある」とし、「この結果はまったくもって私の力不足。。20年近く、地域のみなさまに支えていただき、本当にありがとうございました」と述べた。
 こうして、池田氏の政治家人生は幕を閉じた。悔しさをにじませつつも、どこか誇らしげな表情だった。(宮崎、松本)

当選を祝い胡蝶蘭を受け取る馬場氏と夫人
意気込みを述べる馬場氏。支援市議ら約70人も見守った
敗戦の弁を述べる池田氏
支援者らも最後まで見届けた